大学には行かなくてもいい理由

受験とは何か、受験勉強とは何か、大学とは何か大学卒業の資格とは何か?

私は公立の中学校に通っていたが、もともと小学校の頃は私立の中学に行こうと思っていた。なぜ行こうと思ったのかは、親の勧めであったと思うが、勉強し過ぎて頭がおかしくなる、ということで中学受験を辞めた記憶がある。私立中学を目指す小学校の友達は、戦友という感じだったが、自分が抜けて他の人たちは私立に合格した。その後、私立に通っていたF君が不登校になり、私立にいく意味を疑問に思ったものだった。

 

高校受験、大学受験、多くの人が当たり前のように考えるこの受験について、多くの人が思考停止になっている。中学校の頃は、なるべく偏差値の高い高校に行くことが正義の様な感じがして、頑張って勉強して合格したが、高校入学後F君と同じく、私も学校が面白くなく、ゲームをやるために1週間学校を休んだり、かなり不真面目な生徒だった。

 

大学受験が当たり前の雰囲気、大学に行くことが目的になっていて、いざ大学に入ってみて特にやりたいことがないということが多いのではないか。親は学歴主義のため、いい大学に行ってほしかったようだが、私は、バンドがやりたい、1年だけ勉強して入れる大学に入ろう、そう思っていた。今から思えば、親の大学に行ってほしい、という思いがあるからいいものの、私個人としてみたら、バンドやりたいなら楽器屋の募集コーナーに張り紙でもしてろや、と一括したいものだ。

 

私の通った大学は、付属高校があるので、エスカレーター式で入ってきた中には、特に勉強もやるつもりもないし楽しく過ごせればいいというごくつぶし的な輩が多かった。ましてや、そのレベルに合わせるため、卒業研究は既に答えが見つかっているようなことを課題にされて、それでいて、(自分も)全く分からず、試行錯誤して出来なかった結果、1発で答えが出る数式を教えてもらい、それを使って、卒業論文を書いた。もはや研究ではなくて、ただの課題をやっているのと同じだ。

 

私の通った大学は大学で評価が上がるようなイメージの大学ではないが、大学の卒業証書が1つのライセンスとして使われることに異議を唱えたいし、大学で何を学んだのか、という事を考えるべきだと常々思う。

 

もちろん、受験戦争に勝つために、効率よく勉強することを考える能力や、記憶力など、いい大学に入る人間は、能力が高いか、能力を高められる環境を持っていると言えるので、学力が高い人間が能力が平均的に高い、と考える事には否定的ではないものの、特に勉強したいことがなく、卒業してライセンスとしても使えなかった自分は、大学で友達は出来たものの、その数百万の学費を使った事に対する効果については、全く持って学費分は取り戻せていないと言わざるを得ない。そして学費を支払ってくれた両親に感謝と謝罪の気持ちでいっぱいになる。

 

今、社会人になって、勉強する事の有意義さを感じるようになり、資格を取るための勉強に対する見方がだいぶ変わってきた。理想は、目的を持ち、目的を達成するために必要な情報を学び、修練し、達成に向かっていくという事。それが無いうちは、広く学び、目的を見つけたらその専門性に入っていけるようにする。それが高校まではなのではないかと考えている。ただ、目的を見つける、ないしはやる事の選択と集中をする、という事は簡単な事ではないように思える。やってみなければ分からないことが多い。であれば、大学に行かずともやってみて判断する、という事を繰り返した方が効率が良いかもしれない。社会の一般的なルールやモラル、義務教育の間に教えておいて欲しいものだが、会社に入って教えれば短期間で身に付けられる。専門性がない人間でも出来る仕事を作り、徐々にレベルアップしていくステップが作ることが出来れば、中卒の16歳を叩き上げることも問題ない気がする。受け入れる側の許容と、準備が必要になるものの、まず、社会に出てみる、という事を経験することが時間的、金銭的にコスパがよい選択ではないかと思う次第である。