子供には積極的に勉強をして欲しい、と誰もが思うのではないでしょうか。勉強しなさい、と言っても言いすぎて子供がやる気をなくしてしまう、という事もある中で、「勉強しなくていいから」と、勉強の邪魔をすると「勉強しなきゃ」と思う様になる、という話を2例くらい聞いたことがあります。1例は芸能界を引退された島田紳助氏とそのお子さんの話。
勉強しなくていい、と言っているだけで子供が自主的に勉強するようになるのであればこんな素晴らしいことはない、と思いながらも果たしてどのような条件下であれば成立するのか考えてみました。
島田紳助氏は、毎日子供と顔を合わせていただろうか?
「自分が帰ってきたときに勉強の邪魔をするから、いない時に勉強をしておこうとなった」
という話があります。小学校中学校のお子さんと仕事が忙しいお父さんが合う機会は多いのか?定時に上がる仕事ならまだしも、売れっ子芸能人の島田氏は家にすら帰る日が少なかったのではないか、お子さんと合う機会は週の中でもそう多くはなかったのではないかと推測します。そうすると毎日子供に影響を与えるのはお母さんで、お母さんが子供に対してどんな事を言っていたのか、という事が重要になってきますが、その情報はありません。
地頭のいい人間というのは、ある状況下におかれた時に、この状況が正しいのか正しくないのか、という疑問を持ちますので、まれに勉強しなくていいよ、と言われても勉強しなければ将来やばい、と思える子がいるかもしれませんが、たいていの子は宿題やらなくなり、ゲームに夢中になるでしょう。
勉強しようと思う動機の1つは、目標を見つけることです。島田家では、生き残るのが難しい芸能界でTOPを走っていた親を見て、自分は勉強しないと安定した職につけない、と思うきっかけがあったのかもしれません。
勉強しなくていいよ、という言葉は勉強をやる気にさせる言葉としては有効でない確率が高いと結論付けます。
また、学校の勉強についていけない=基礎学力の無い子に勉強しなくていいよ、とはとても言えません。学校の中は比較の嵐です。本当は比較で評価されることにそんなに価値はないはずなのに、どうしても同じ授業を受け同じテストを受けるため、呑み込みが遅い子はどうしても劣等感にさいなまれます。劣等感を自己肯定するためには、その戦いから逃げるしかありません。勉強から逃げる、という事です。基礎学力が無いまま勉強から逃げると、自分が何かやろうと思った時のハードルが非常に高くなります。
学校の勉強で社会に出て役に立つことは正直多くは有りません。その為本来であれば勉強などせずに目標を決めてそれに向かうための努力だけをすることが一番の近道でありますが、将来何をして食べていくか、ということを決めることも難儀だし、高校受験、大学受験にしか使わない(少し語弊がありますが・・)勉強をしなくてはいけない子が真実をしったら、あの時間はなんだったのかと思うかもしれません。
テストの点数や学力で自分の存在価値を決められてしまう文化には反対ですが、それが基礎学力と、勉強プロセスを確立し予実を見ていく練習や、努力が実る達成感を味わうための機会として捕える分には必要なのだと思います。
基礎学力が無い子に勉強にやる気になって貰うためにはゼロから勉強を教えて、分かるまで教え1歩1歩進むこと、それで出来る喜びを培っていくことが、私の中の答えになっています。勉強をやる気になる方法が見つかればまた共有させてもらいます。
以上