千と千尋の神隠しを教育的目線で見てみる

千と千尋の神隠し、金曜ロードショーで放映されていたが、教育的観点で見てみてどんなメッセージがあるのか、子供にどんな影響が与えられるのか考えてみた。ご存知の方は多いと思うが普通にネタバレするのでまだ見ていない方は控えて貰えるとよいと思われる。

 

まず千尋、一人っ子で小学生だろうか。自分に自信がない女の子。千尋がブタになってしまった親を助け、異世界から脱出するために奮闘する物語、という概要だけでも子供の成長を感じるものになっている。

 

その異世界は魔女が支配している様で、そこは働かないと死ぬ。しかし、働きたいと言われたら断れない、という特殊なルールになっている。見るのは2,3度目くらいになるが、子供が大人の社会の中に強制的に放り込まれる、という物語として初めて見ることが出来た。

 

社会に出るまで小学生の頃合いであれば10年くらいはある。その未知の世界で、自信なさげな女の子が生きていけるわけがない。その異世界では、昔自分が溺れて助けてくれた(?)川の神様が先輩かのように、仕事のあっせんをしてくれ、立ち振る舞いを教えてくれる。

 

見事魔女から仕事を貰う事が出来た千尋だが、そこで、契約の際に名前を奪われてしまい、千尋ではなく千、という名前になる。自分の名前を忘れたら異世界から脱出が出来なくなるということだ。

 

私なりに理解してみると、この名前を奪われる、と言うことの解釈は、一人の人間が1つの会社で働くことを決めて頑張る。頑張り続けていくと、自分の中の何か大事なものを忘れて会社に自分を投じていくことを揶揄しているように思えた。つまり会社に忠誠を誓い頑張ることで自我が失われていく。実際に自分も働いていて、会社への忠誠心や思いやりで自分より会社優先になることもあったことを考えると、社会で働くという事は、自分の時間を使う訳だが、失うのは時間だけでなくて大事なものを失うことがある、という風に自分には思えたのだ。

 

 

そして名前が奪われ千となった千尋は仕事をする。怒られながら、冷たい態度を取られながらもひたむきに頑張っていく。腐れ神が風呂に入りに来て、みんな対応したくなく千尋に押し付けるのだが、千尋はあまり嫌な顔をせずに対応する。異世界に入った時はめちゃくちゃビビりだった面影はもうない。

 

カオナシの存在も意味を考えてしまう。カオナシはお金を出すことが出来る。その宿(?)で働いている人たちはそのお金に群がるが、千尋は興味を持たない。カオナシはお金で引き付けてカエルを飲みこみ話せるようになり、お金をばらまくことによってスタッフから手厚い対応を受けたくさん食べて大きくなる。欲望を金で満たしていくことが出来たカオナシだったが、千尋に興味を持つがお金には興味を持たない千尋の態度は変えられない。屈服させられない。そして暴走してしまう。食べたものを吐き出したあと、カオナシは無害で喋れないカオナシに戻った。

 

色々な捉え方が出来る存在だが、金で欲望を満たそうとする者が金がなくなると何もなくなってしまった、という事も言えるし、金を貰い沸き立つ者、態度を変えた者が、時間が経つと魔法が切れて金は泥になってしまいがっかりする。浦島太郎の玉手箱の大きさで強欲さがある方が損をする、みたいな話に似ている。

 

千尋は会社で言うところの先輩に当たる(と捉えた)ハクに最初は教えてもらうものの、時間が経つにつれてハクが傷ついたらハクを守り、ハクが泥棒したものを返しにいき、ハクの代わりに謝る。社会人としてみたら、上司や部下のミスで自分が謝らなければいけない事、怒られなければいけないことが出てくるが、何で謝らなくちゃいけないのか、何で返さなければいけないのか、疑問に思うことなく対応している。このあたりはジブリのキャラは心が澄んでいる、ということもあるだろうが、社会に出て理不尽なことがあってもしっかり対応することが出来ている。この時点で親心で泣く。

 

魔女の双子の兄弟のゼニーバ(こいつも魔女だが)はメンター的な存在なのか、何か手伝ってくれるわけではないが、自分でやるしかない、という事などアドバイスをくれる。身寄りがない?行きどころがない?カオナシも引き取る。辞めていった社員をつながりがある所で世話をすることにも近いと感じる。

 

という事で社会を知らない子が社会に出て揉まれていき、成長していく、というお話と言える。ただ見ているだけではそのことに気付かない事も多いので、お子さんと見るときには、社会に出た時の話とリンクさせて話すことで、子供が社会に出たことを少しでもイメージして実生活や学校に向かう事が出来るのではないか。そんないい映画だった。

 

以上。