これに気付いたのは、私が35歳になろうとするところでした。所属している会社で、社員教育の一環として、政治情勢などを使って、皆の意見を集めたり、議論を交わしたりすることで基本的な教養をベースアップさせようとしたのです。
所属していた会社は様々な業界の企業を相手にする営業支援の会社でした。業界ごとの構造、課題や新しいサービス、これを知らないとまともな営業マンとしてみて貰えない状況がありました。また、対応する人たちは経営者も多く、歴史や政治の話をされた時に、それが全く分からないとコミュニケーションが取れない、そんな事も危惧されました。
そして少しずつ勉強していったのですが、普段私たちはミクロの世界で生きていて、マクロの事はそこから想像するしかありませんでした。しかし、政治や、経済は、ミクロを加味したマクロ的な大きな視点で物事を動かしていたのです。ミクロがたくさん集まって大きなマクロの流れを作る。国がその流れに影響されて方針を変えていく。
国同士で影響し合って方針が変わります。歴史を知ると、国同士の都合で他の国が割を食う事もあります。学校では平等が正義とされますが、世界の歴史に目を向けてみると平等が通じる場面はそう多くはありません。弱者は奪われ、殺され、強者の都合に振り回されるのです。
日本は植民地になったことがありません。奴隷は人間ではなく、売り買いされるモノだったのです。長い間奴隷制度があったため、肌の色で人を見下す文化が醸成されていてそれがまだ残っていることは非常に分かります。日本だけ見ていても世界の人たちがなぜ争っているのか分かりません。世界を知ることで、歴史に作られてきた文化、人間性を垣間見ることが出来るのです。
1つ1つの事象が実は裏で全て繋がっている。有機的に物事が繋がった瞬間、私の頭の中に物凄い快感物質が出てきたことが分かりました。話が繋がれば面白さは何倍何百倍にも増すのです。
営業マンにとって最低限必要な教養を身に付けるために初めたことは、いつの間にか勉強のための勉強になっていました。何の目的もなく、ただ知りたいから本を手に取る。これは素晴らしいことだと思います。社会人になったら、読んだ本を仕事にいかに活用するか、それが重要になってきますが、学生時代には、それぞれの学問の魅力を知り、自分が何が好きなのかを知ることが必要だと思っておりますが、
テストや受験勉強、点を取る事だけがカタルシスになっている環境で、私の深い思考が出来ない脳みそでは、学問の魅力に気づくことが出来ませんでした。義務教育の制度の中で当たり前のように提供される教育サービスは、時としてその価値を見失わせます。
教える側も学習要領を守って、テストの点を挙げる使命を帯びている中で、苦労されているに違いありません。受験から、テストから解放されて、面白さだけを追求する勉強が出来る環境を作ったり、面白さを知って貰うためのアクションを起こせたらと思っています。