19世紀のアメリカの移民問題・・・移民排斥法が出来るまでのプロセス

1776年にアメリカが独立し、領土を今の領土まで増やしてきて、たくさんの移民を受け入れました。1880年から1920年までで2300万人の移民が来ていて、東京と神奈川の人口を合わせた位の人たちが来ました。

 

最初はヨーロッパからの移民が多かったんです。アメリカは、プロテスタントが多く、言語は英語だったので、それにマッチするヨーロッパの人たちが1920年代までは多かったんですが、

 

それから東ヨーロッパの方とか、宗教もカトリックやユダヤ教、ロシア正教で違うし、言語も違う人たちが入ってきたんですね。そしてアジアの移民も増えてきます。そうなると、移民を制限した方がいい、という意見が出てきて、1924年に移民法、というのが制定されます。

 

年間で移民は15万人まで。40年で2300万人受け入れていたという事は1年で、50万人以上は受け入れていたのを15万人にします、というのと、今アメリカにいる移民の2%までしか、その国籍の人は、入ってはいけませんよ、というのも作りました。これは、プロテスタントが多い国で、全然違う文化や宗教の人たちが大多数になってしまったら困るので、文化や言語、国籍がマイノリティ人たちは、マイノリティのままでいさせるための制度になります。これは1965年の移民法改正まで続いたようです。

 

アメリカの大陸横断鉄道を作るときに現場の環境はかなり劣悪だったようですが、そこで活躍したのが中国人で、安い給料で厳しい環境でも働いてくれて、多くの中国人が入植して来ました。1万人の労働者のうち9割が中国人だったようです。

 

給料が安くてもいとわない、という外国人が入ってくると同じ仕事をしている人たちの給料が心配になるので、中国人の移民受け入れをしない法律が出来ます。1882年の廃華移民法といて廃止する中華の、移民法と書いて廃華移民法ですね。そして1924年の移民法で、中国人のみならず、アジア人自体が来れなくなりました。白人以外はNGとなりました。

 

そして1929年の世界恐慌が起こり経済が悪くなると、失業者がたくさん出ますので、移民を受け入れるどころじゃなくなって移民の門戸は閉ざされました。

 

移民が増えると、差別的理由ではなくて経済的理由で移民を受け入れたくなくなる、移民に対しての感情が悪くなるというお話でした。

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