教育の挑戦状

教育に興味を持ち出して1年半が過ぎた。勉強する日々の中で教育の限界について考えることがある。私は以前テレアポ代行(営業代行)の会社に勤めていたが、そこで多くのスタッフを雇って教える。業界の事、伝え方、アポの取り方、使いやすいものから教えていくが、半年一年経ってもどうしても一向に成長しない人たちがある程度のパーセンテージいる。

 

社会人経験が無いから知識がない人もいるし、IQが低そうな感じがする人もいる。やってみた結果、いくらじっくり教えても、成長しない層がいることを肌で感じている。通常ならば採用面接の段階で切るべきなのだろうが、やってみなければ分からないことがたくさんあるのと、出来ない人を出来るようにする、という思いの元、採用し教育を続けたが、人間の資質の壁にぶち当たった。

 

実務能力の中でも特に、心理面は教育の方法が全く分からない。しかし、私は楽観論者で、精神的に非常に楽をしている自負がある。今自分がやっていることも全く成功していないまま1年半が過ぎたが、前向きだ。同じ事象が起こっても各人受け取り方が違うし、壁を乗り越える能力の違いもある。同じ厳しいことをしても残る人間もいるし、脱落するものもいる。

 

最終的に、やりきるために必要なものは根性的なもの、遺伝的なものである、という考え方があるが、教育とは、遺伝に頼るものを少なくして教育でカバーできるようにすることだ。

 

社会インフラが整っていくと、逆淘汰ではないが、優秀でない人も増えてくると考える。逆に優秀でない人でも頑張れば幸せに生きることが出来るインフラ自体は素晴らしい。そこで、脱落していく人たちを少なくする、と言う所を教育で如何にカバーしていくか、というのが教育の兆戦なのではないかと考えている。

 

能力を向上させるのにも最終的には才能、遺伝的な能力が必要と言われるし、心の分野においてはそれがもっと強い。もちろん環境的なものも強いが、一度定着してしまった性格を軌道修正していくことは非常に難しいと感じる。しかし、心の持ちようで同じ境遇でも辛さを軽減できるのであれば、その性格は能力であり、身に付けるべき価値だと思う。

 

価値観は違うにせよ、心の強さをどう鍛えていくのか。幼少期や学生時代に、何か達成したことがない人間は、諦めてしまう人が多い、という考え方がある。何も達成せず、成し遂げず、努力もせず、自信もない人間でも、心の持ちよう一つで、やけにならず絶望せず後ろ向きにならず、ゼロから一歩ずつ進んで行ける。

 

心をどう鍛錬していくのか。それについても考えていきたい、という意思表明でした。