フランスは第二次世界大戦を止められた!?ゲーム理論で見るラインラント進駐

歴史を振り返ってみてみると、色々な所に分岐点があるのが分かる。第二次世界大戦を始めたドイツの暴走を止められる選択肢があり、フランスはその選択を出来ず、ドイツにやられてしまった。

ドイツは第一次世界大戦で負けて、ヴェルサイユ条約により、厳しい軍規制と賠償金を負う事となった。フランスが積年の恨みを晴らすような条約の内容になっていた。フランスもドイツもお互い憎しみ合う思いは消えていなかった。

 1929年に世界恐慌が起こり、不況の混乱に乗じてナチスが勢力を伸ばし、ヒトラーが全権委任法を成立させた。そして空軍をもってはいけない約束になっていたのに、航空機を作ると言って、空軍の飛行機を作ってそれを発表した。各国から批判はあったものの、軍備拡張を進めるのを止めるアクションとはならなかった。イギリスもドイツへの制裁が厳しすぎるし、ドイツが弱すぎてもパワーバランス的に問題であろう、と口を出さなかった。

 

ドイツは陸軍、海軍も軍隊の規模を制限されていたが、それを無視して軍備拡張をしていった。まだ弱く、他の国と戦っても勝ち目がない状況であったが、そんな頃合いに、ラインラント沿岸に軍隊を進駐させたのだ。

 

ラインラントと言えば、いわゆる、ここに軍隊があると、フランスは安全保障的なリスクが高まる場所であり、第一次世界大戦が終わった時に、ここをフランスの領土として、安全を確保しようとしたが、もともとドイツの領土であったので、受け入れられなかった。フランスとしては、領土にならないのであれば、ドイツに軍を置かれない様にしたく、その意見が通り、ラインラントに軍を置いてはいけない、というのをヴェルサイユ条約の中に盛り込んだ。

 

つまり、軍を置いてはいけない約束になっている所に、軍隊を進めてきた。演習ですと言っていたが、そこに留まったのである。

 

これに対し、各国批判はするものの、ドイツの暴走を止めるアクションとはならなかったようである。もし仮にここでフランスが約束違反だ、フランスの安全保障の確保のためドイツを潰す、と動いていたら、圧倒的にフランスの方が強かったので、ヒトラーはひとたまりもなかったであろう。

 

しかしヒトラーは今までの流れから、フランスは動かないと見ていた。しかし、フランスが攻撃してこないと言う保証はない。ヒトラーの周りの幹部も、軍が育っていない状況でなぜ危険を冒すのか理解できなかった。ヒトラー自身も、フランスが攻めてくるのではないか、相当にひやひやしていたということである。

 

結果、ラインラント進駐は見逃され、軍拡してもそれを止める人はおらず、ドイツの暴走を止めることはできなかった。第一次世界大戦から20年、みな、戦争したくない、という思いから、話し合いで解決できないか探ったが上手くいかなかった、という事になる。

 

これをゲーム理論で解説すると、チキンゲームとなる。二人で車を走らせて、海に落ちたら負け、びびって先に止まった方が負け、というゲームでは、海に落ちたくはないがそれを悟られると不利になるから、どこまでもいく、という姿勢を見せなければいけない。しかし、海に落ちてはいけないから相手の様子を見ながら、どこかしらでブレーキを踏む判断をすることが合理的選択となる。

 

相手がゲームから降りる様子がなければ、自分はどこまでも下りない、という姿勢で相手を下すことが必要となる。

 

今回は、ドイツが軍拡をしてそれを国際社会が許すか許さないか、と言う所で、許さない、軍拡したらつぶす、と言う姿勢を保ち続けなければならなかった。軍拡したら戦う、という姿勢を見せて、ドイツにブレーキを踏ませる必要があった。

 

現に、当時の戦力差はドイツに勝ち目はなかったから、フランスがラインラント近くに軍を進めてドイツがヴェルサイユ条約の内容を越えて軍を増やそうとしたら戦う、という意思表示が出来れば、ドイツはブレーキを踏まざるをおえなかったのである。

 

軍拡しても文句を言わない(文句は言ったが軍拡を止めるところまではいかない)、フランスは戦争をしたくないから早々にブレーキを踏んでいることをドイツに知られてしまった。こうなれば、チキンゲームはドイツの勝ちになる。着々と軍備拡張をし、タイミングを見計らい事を起こしたと言える。

 

軍隊を出してラインラントに進駐するドイツを叩きに行く、これが当時どれ位難しい選択肢だったかは分からない。政治家の思いはあっても、民衆が戦いを許さない。その選択肢はあっても選べなかったかもしれない。と言い出してはキリがないが、その選択が出来れば、また違う未来になっていたはずである。