私は社会科の家庭教師をするために今準備を進めています。
普通、家庭教師は受験など学校の勉強を補完しますが、私は社会科に絞っています。それも、学校の授業で習う事だけではありません。
目的から話します。お子さんが何になろうとも、ちゃんと生きてほしい、幸せに生きてほしいと思うのは親心だと思います。いい大学に入ったからと言ってもいい生活が保障されるわけではありません。逆に高卒で仕事を始めても仕事の幅が狭く、人生観や価値観、可能性が狭まってしまうことがあると感じています。
今、大学は資格としての機能が強まっていると考えています。大学で何を学んだか、と言うよりは、どこの大学を出たかの方が分かりやすく評価しやすいために、学生側もそこを意識して大学選びをする事があります。それ故に大学の卒業資格を取ることを目的として入学する人が多いと感じています。それは果たして有意義なのでしょうか。それでいい会社に採用されるのであればそれは素晴らしいことです。しかし、それを目的として人生の多くの時間を使い、重要なことを忘れていってしまう可能性を危惧しています。
受験は自分が効率的に暗記できるプロセスを作り計画を立て必要な分量をこなしていき、その結果が点として評価され、合格する事で達成感を感じることが出来る。合格化不合格か、自分を否定されるか肯定されるか、そんな機会はあまりありませんので貴重だと言えます。
勉強の仕方、やり方を作る、スケジュールを立て、予実管理をしながら進めていく、結果が出て自分の努力が評価される。私が受験で得られるものはこれだと思っています。逆に、たくさん暗記した事を活用できるかと言えば一部は活用できますが、その労力に見合った活用が出来るとは思えません。
では、受験に頼らなくても、自己を成長させ、社会で一人前としてやっていくために必要なものを早々に学ぶことで、人格を熟成させ、人間として生きる力をつけ自信をつけ、やりたいことを探すことに人生の時間を使う。これが素晴らしいのではないかと思います。
その為には、
・学校や勉強がつまらないと思っている考えが変わる事。
・社会・経済の構造を知り、社会での戦い方を知る事。
などが必要だと考えています。
▼学校や勉強がつまらないと思っている考えが変わる事
学校、義務教育自体は素晴らしい仕組みです。しかし、小学校6年、中学校3年高校3年、12年間、受け身の授業をすることで、勉強は与えられる義務である、という固定観念が出来てしまいやすいと考えています。なぜ?という湧き出る疑問がなくなり、ただ先生が言っていることを聞かなければいけない、テストで点を取るために勉強しなければいけない、そんな強迫観念の中で勉強をすることは良くないのです。
学校から解き放たれた時、身の回りに起きる出来事や社会の出来事、なぜそうなっているのだろう、なぜ上手くいかないのか、その理由はなんなのか、など様々な疑問が湧いていきます。そしてそのために勉強が必要になり自主的に勉強していくのです。それは苦痛じゃない事も多いし、苦痛でも目的がはっきりしていれば頑張りやすい。しかし、12年間受け身で授業を受けてきた人にとって見たら強制的に教え込まれる勉強は逃げたい対象であり、興味がわかないのも仕方ありません。しかし、義務教育でやっている基礎的な勉強、本来、どれも面白いはずなのです。
▼社会・経済の構造を知る事。
学校で社会の事を知る機会は多くないのではないでしょうか。先生も大学卒業してすぐに教師になっているのであれば社会経験は教師と、それ以前のアルバイトなどに絞られます。社会では大手企業、中小企業様々な所で多くの競争が発生していて、その中で生きていかなければいけない、という事を教えるのは会社勤めの経験が少ない教師の方には、中々難しいのではないかと思っています。
しかし、そこが非常に重要な部分だと考えていて、世の中には多くの業種業態があり、利益率が業種業態によって変わり、職種によって必要なスキルが変わってきます。どんな職を選ぶのか、業界の利益率や成長性など鑑み、自分の人生がより豊かになる確率が高い所を選んで欲しいものですが、自分のやりたいことと、人生が豊かになること両方の基準で職を選ぶ、という選択をした方が有意義ではないかと思っているのです。
業界だけでなく、スキルや職種、役職もそうです。今社長になっている人はどのような道をたどってそこにいるのだろう。営業本部長のあの人は、どうやって出世していったのだろう。あの取締役はなぜ会社を辞めたのだろう。どんな仕事どんな職種、どんな役職にどんなスキルが必要なのか、知った上で仕事を見据えると必要な勉強も変わってくるのです。
では、それを学ぶためにはどんなカリキュラムになるのかについては別の記事でお伝えいたします。