軍備拡張のポイントはラインラント進駐にあり。
第一次世界大戦で負けたドイツは、ヴェルサイユ条約と言う条件をのんで降伏しました。ドイツは厳しい賠償金の支払いをしながら経済を回復させていきましたが、1929年の世界恐慌で経済が落ちこみ、ヒトラー政権が誕生し、全権委任法が可決されてヒトラーの自由に出来る状態になりました。しかしながら、ヒトラーがいくら自由にできると言っても戦争に負けて軍隊は縮小されていたので、弱い状態で戦おうにも戦えないはずが、どうして軍隊を増やして第二次世界大戦が出来るようになったのか、についてみていければと思います。
ヴェルサイユ条約内容としては、軍隊の数とか、武器はこれだけ、海軍はこれだけ、空軍は作ってはいけない、とか、そういったことで、ドイツに戦争をさせないように制限していました。
空軍は持ってはいけない、という話だったにもかかわらず、1934年、陸軍のゲーリングが空軍は存在すると発表しました。民間機を作ると言って研究開発していたのは軍用機だったのです。ヒトラーはフランスや戦勝国はどういう反応をするか見ていたのです。
1936年3月8日、ラインラントにドイツ軍が演習の名目で、進駐しました。ここは、フランスにとって、重要な拠点になっていて、フランスがここを領有できれば、フランスの安全は増すので、第一次大戦が終わった際に、領有を主張したのですが、昔からのドイツの領土であるがゆえに聞き入れられなかったのです。その代りに、ラインラントを非武装地帯にする、という約束をしていたのだが、それを破って、軍隊を常駐させてきたのです。
フランスでもすぐに軍を出してこらしめよう、という意見はありましたが、国連に相談したり、いろいろしているうちに、戦争の理由にならないくらい時間が経ってしまったのです。
ドイツ軍は軍備拡張中で弱かったのでここでフランスが戦っていたらヒトラー政権は倒れていたと思われます。ヒトラーの周りの将軍は、フランスに攻められたらひとたまりもないから辞めましょうと言っていましたがヒトラーはフランスは動かないことを予測できたのです。空軍があると発表し、イギリスと協定を結び軍備拡張を進める中でフランスが腑抜けになっていると確信を持てたのでしょう。(後日談で、進駐から2日間は相当ビビッていたようですが)
ラインラント進駐と並行して1935年3月16日陸軍の軍拡をスタート。徴兵制を復活させて、36個師団、50万人陸軍を作ろうとした。現在は7個師団、10万人。ヴェルサイユ条約で徴兵制も禁じられていたし、10万人以上の陸軍は持ってはいけないことになっていました。
1935年6月18日独英海軍協定が結ばれた。イギリスは、ドイツに力をつけて貰う事で、ヨーロッパのバランスを取ろうとしたのです。イギリスはヴェルサイユ条約に違反しているドイツに目をつぶることが自国の為と判断したのです。ドイツにとっては軍拡の許可を得た、といえるのです。
ヴェルサイユ条約でドイツが支払う賠償金もやり過ぎだし、ドイツの国の大きさに対して、の軍の大きさも制限しすぎている、ということが背景にあるのと、もう戦争したくない、という考えが、ドイツを調子に乗らせる原因になったのです。
そしてオーストリアを併合し、ソ連と協定を結び、1939年9月1日ポーランドにいちゃもんをつけて戦争を始め第二次世界大戦が始まったのです。
ラインラントに軍を進駐させた時、フランスは怒らなかった。これがターニングポイントかなと思います。何か怒られそうなことをちょっとやってみて、それで反応を見て怒られなければ、もっと突っ込んでみる。北朝鮮もそのようなやり方をしていますね。ここでギャフンと言わせないと、調子に乗らせて痛い目を見る、そんな教訓として肝に銘じておきます。