私は、自分の生活圏にある寿司屋についてリサーチをしている。教養やリベラルアーツを何故学ぶのか、という答えが寿司屋のリサーチに詰まっている気がしてキーボードをたたいている。
本やニュース、教養になるようなことを学ぶ必要性が明確になれば、学ぶ理由がその人のニーズに一致すれば、自分から学ぶようになると思いつつも、こちらからはきっかけを与える事しかできず、興味喚起が出来る理由は何だろうか、自問自答していた。
話は戻って、地元や職場、生活圏にある回転寿司屋、回転していないがそこまで高くはない寿司屋に定期的に回遊し情報を仕入れている。自分の要望ははっきりしている。サーモンが好きで60貫サーモンを食べたことがある。あの臭さと歯ごたえ、脂が病み付きになる。ニコチン中毒になる人はいるが、サーモンの脂中毒になっている可能性すら感じるほど、体があの脂を欲している。サーモン以外で言うと、弾力性のある歯ごたえがするネタが良い。はまち、新鮮なイカ、貝類、えんがわなど、様々な歯ごたえのするものをその時々の気分で味わう。また、マグロについては、中トロ以上はマグロの脂を楽しんで、それ以下は、柔らかさや、バチマグロの場合は歯ごたえを楽しむ。
自分の中でどんなネタが自分を喜ばせてくれるのかよく分かっているので、それをコスパよく食べられるところを探す。いくらおいしいものでも、1貫1万円だと満足感は減る。同じ味で200円の方がお財布に優しく、コスパのいいものを探し当てた、という満足感もある。
また、寿司のネタ同様、寿司屋のメニューも生き物で、一筋縄にはいかない。定番メニューは価格が変わらない分、ネタの大きさが増減する。それは、値段を上げられない駄菓子メーカーが値上げの代わりに内容量を減らすことと同義だ。
平和そうに見える寿司屋でも、魚の仕入れ値は変わり、それによりネタの厚みも変わる。マイナーチェンジが繰り返されるのだ。通っていると良く分かる。サーモンでも鮭じゃない?という時もあるし(サーモンと鮭には定義の違いがあるが良く理解はしていない。オーロラサーモンが食べたい、という事だけは分かっている)、物凄い包丁の技術で薄く切ってあることもある。最近サーモンが高くなっているという話は聞き、ある店では、値段は変え辛いはずのネタの金額を変え、サーモンが200円から300円になった店もあった。
よいコスパを発揮していた店が潰れることもあるし、コスパが良かった店が、急に変なものが出てくるようになることもある。定期的に訪れてチェックして、その時点で自分にとってより幸せ度数が上がる店を選び通うのだ。
また、寿司職人さんとのコミュニケーションにも幸せ度数を上げる仕組みがある。チェーン店は仕込みの段階でネタは切られているのだが、注文が入るとネタを柵から切り出す形の店では、職人さんと仲良くなり、自然と、ネタが分厚くなる。1ランク高いものを出して貰ったこともある。その職人さんには、自分がお寿司が如何に好きか、どんな楽しみ方をしているのか伝えた所、歯ごたえを楽しむ、という事を職人さんは想定していなかったらしく、非常に感謝された。その影響があるのかは分からないが、その職人さんにはそれ以来、良いネタを握って貰えるだけでなく、魚の話なども聞いて、良くして貰っているのだ。
つまり店をリサーチする事、職人さんとのコミュニケーションは、自分にとって幸せ度数を上げるための作業であり、
リベラルアーツや教養を学ぶことも幸せ度数を上げる事が目的だと言える。つまり、それを学ぶことが直接幸せになることもあれば、学ぶことにより良い選択肢を選ぶことが出来るなど、間接的に幸せ度数を上げることが出来る、という理解に至った。
リベラルアーツを学ぶ理由=幸せ度数を上げる
物凄くシンプルになったものの、各々の幸せ度数を上げるためのきかっけをどう作るのか。どのような見せ方にするのがよいのか、また考えるのである。