リベラルアーツを学ぶ理由を寿司屋で見つけた話

私は、自分の生活圏にある寿司屋についてリサーチをしている。教養やリベラルアーツを何故学ぶのか、という答えが寿司屋のリサーチに詰まっている気がしてキーボードをたたいている。

 

本やニュース、教養になるようなことを学ぶ必要性が明確になれば、学ぶ理由がその人のニーズに一致すれば、自分から学ぶようになると思いつつも、こちらからはきっかけを与える事しかできず、興味喚起が出来る理由は何だろうか、自問自答していた。

 

話は戻って、地元や職場、生活圏にある回転寿司屋、回転していないがそこまで高くはない寿司屋に定期的に回遊し情報を仕入れている。 “リベラルアーツを学ぶ理由を寿司屋で見つけた話” の続きを読む

構造的にものを考えれば分かった、という話 年末の特売セールが危険だった

年末年始3日ほど下痢で寝込んでいたのだが、年末に1回、年始に1回共通して食べているのは生卵だった。オムレツを作るのが好きな自分はたくさんの卵を使ってオムレツを作る時に生っぽい部分を残して作り終えそれを食べる。それが原因だと思われる。 “構造的にものを考えれば分かった、という話 年末の特売セールが危険だった” の続きを読む

なぜ社会科の家庭教師なのか?

私は社会科の家庭教師をするために今準備を進めています。

 

普通、家庭教師は受験など学校の勉強を補完しますが、私は社会科に絞っています。それも、学校の授業で習う事だけではありません。

 

目的から話します。お子さんが何になろうとも、ちゃんと生きてほしい、幸せに生きてほしいと思うのは親心だと思います。いい大学に入ったからと言ってもいい生活が保障されるわけではありません。逆に高卒で仕事を始めても仕事の幅が狭く、人生観や価値観、可能性が狭まってしまうことがあると感じています。

 

今、大学は資格としての機能が強まっていると考えています。大学で何を学んだか、と言うよりは、どこの大学を出たかの方が分かりやすく評価しやすいために、学生側もそこを意識して大学選びをする事があります。それ故に大学の卒業資格を取ることを目的として入学する人が多いと感じています。それは果たして有意義なのでしょうか。それでいい会社に採用されるのであればそれは素晴らしいことです。しかし、それを目的として人生の多くの時間を使い、重要なことを忘れていってしまう可能性を危惧しています。 “なぜ社会科の家庭教師なのか?” の続きを読む

教育の挑戦状

教育に興味を持ち出して1年半が過ぎた。勉強する日々の中で教育の限界について考えることがある。私は以前テレアポ代行(営業代行)の会社に勤めていたが、そこで多くのスタッフを雇って教える。業界の事、伝え方、アポの取り方、使いやすいものから教えていくが、半年一年経ってもどうしても一向に成長しない人たちがある程度のパーセンテージいる。 “教育の挑戦状” の続きを読む

社会科は面白い。

これに気付いたのは、私が35歳になろうとするところでした。所属している会社で、社員教育の一環として、政治情勢などを使って、皆の意見を集めたり、議論を交わしたりすることで基本的な教養をベースアップさせようとしたのです。

 

所属していた会社は様々な業界の企業を相手にする営業支援の会社でした。業界ごとの構造、課題や新しいサービス、これを知らないとまともな営業マンとしてみて貰えない状況がありました。また、対応する人たちは経営者も多く、歴史や政治の話をされた時に、それが全く分からないとコミュニケーションが取れない、そんな事も危惧されました。 “社会科は面白い。” の続きを読む