日米修好通商条約はなぜ勝手に結ばれたのか?

江戸末期、ペリーが来航して日米和親条約を結びました(1854年)。これは、開国の1ステップではありますが、自由貿易を認めるものではありません。下田と函館は開港するものの買えるものは、欠品したものだけというルールでした。

そして、その次に日米修好通商条約を結ぶことになります(1858年)。 “日米修好通商条約はなぜ勝手に結ばれたのか?” の続きを読む