真の教養とは

教養とはただ知識を得るだけではありません。

何かを判断する際の判断材料として、真実を見抜く目を持つための、知識を蓄積し、判断や目をトレーニングすることで初めて教養が身に着いたと言える、

と、教えられました。

ただ単に知っているだけでは、タダの知識。雑学の域を出ず、それを活用していくことが教養だと。

ただ、コミュニケーションを取るための知識(私が教養だと思っていた)は必要で、かつ、それを体に定着させてアウトプットするためには、入口として、面白い知識が無ければそもそも入ってこない。

社会を勉強するにしても年号ばかり覚えろと言われても何の興味も引かれないけど、前後関係を知って、なぜそういう行動に出たのか、ということを知ると非常に面白いと思うのです。過去を溯って、戦国時代の1つの領地の国主が武将や兵に頑張って貰うためにしたことは、企業でどうリーダーシップを取っていくのか、マネジメントしていくのかという事に繋がります。

そこに帝王学(勉強中)が出てきて、信長のやっていたことは、そこに反するから、明智にやられなくても、いずれ誰かにやられたのだ、と思うようになる。また、たくさんの国の政策を見て、過去の歴史の政策の失敗を見たときに、この時どういう政策であればよかったのか、などを考えることが出来るのが真の教養ではないか、と考えるようになりました。

ということで、知識を面白く伝えられるよう、切り口を考えて伝えていければと思います。