教養を何のために勉強するのか、個々人によって目的や理由は変わってくるため1つの答えを求めることは難しい。そこで、教養をエンターテイメントと捕えるとどうだろうか。例えばプロ野球、私は全く関心が無く、プロ野球ニュースも生中継も一切見たいと思ったことはなく、野球選手の名前も知らない。阪神大好きな人間がいて、金本、と呼ばれれているのを聞いて、選手から監督になった金本は凄い人なんだろうなと想像するくらいである。
野球が好きな人間は楽しそうだ。前の職場の後輩は、野球が好き過ぎて、野球の生中継を見たい、しかし、仕事で帰れない、と言う時に、パソコンで仕事をしているふりをしながら小さい画面で生中継を観戦していた。家に帰ればプロ野球ニュース、土日は草野球。野球好きな人も多いため、野球を中心とした話題では事欠かない。野球の認知度が高ければ高いほど、多くの人の共通言語になるため、喜びが増す。
教養も同じところがあって、趣味の細分化、多様性が出てきている中で、政治経済歴史など、ある程度不変な話題というのは、1つの共通の話題として使える。未来は誰にも確定できないが故に、どんな未来になるのか、どの政党に任せればよい未来になるのか、思想の違い、と言う形で意見は分かれるものの、見えない未来を占うと言う所で共通言語、共通の話題が出来ることになる。
歴史や政治は、エンターテイメントとしても非常に魅力的だ。平成の日本にいるだけでは理解できないことが多くの歴史の中で起こっていて、多くの人が迫害された亡骸の上に自分たちが生きている、という事を考えさせられる。歴史に残っている情報が全て正しいとはいえないものの、ノンフィクションの物語として物凄く面白い。それを共有する事で、喜びが増すのは、野球と同じだ。
子供の時には、ニュースや政治は一切関心が無くて、ニュースの時間が早く終わって7時にならないかなと思っていたし、投票当日の選挙特番も、面白い番組が休みになってしまうので止めてほしいと思っていた。しかし、今では、逆にニュースを見るし、選挙特番はむしろ見たい、と思うようになった。その眼ざめについては、40超えても、関心が無く、面白味も感じないと言う人もいるために、周りの環境や自己啓発によって、政治への目覚めの年齢は変わってくる。私は、この政治への目覚めの年齢を早くする事で、もっと日本がいい国になるのではないかと考えている。
シールズは思想的に私と合わない所があるものの、大学生や大学院生位の年齢の人間が、何かを考え、訴え組織を作っていったことは純粋に評価できるし、あの年代が政治について考える、という事は素晴らしいことだと思う。
私は仕事の関係で年上の経営者の方とお話しする際に、自分の教養の無さに気付き、教養がなければ渡り歩けない、と感じて、興味が増えていったが、関心が無い人が増える理由は分かる。関心が無くて、投票しなくても日本は上手く回っていて、適当にやって欲しい、自分は忙しいからそんなことをやっている暇がない、という正直な意見だ。
ただ、野球だったらどうだろう、政治には全く関心がなくても、野球の事なら、高校野球の歴史から、各選手のデータまで何でそんなことを知っているの、と言うくらい勉強している人がいる。それは好きだからそうできるのであって、教養も面白い、という入口を作っていかないといけない。逆に入口を作ってやれば勝手に学んでいくのである。
日本の政治経済などに関する知識はエンターテイメント化することで、ベースアップし、日本のためになる、と考えると、教養、と言う枠組みの中に内包されている様々な面白さ、エンターテイメント性について、もっと前に出していき、教える、という事ではなく、勝手に学ぶ、というサイクルを作り出したいと思う。