リベラルアーツを学ぶ理由を寿司屋で見つけた話

私は、自分の生活圏にある寿司屋についてリサーチをしている。教養やリベラルアーツを何故学ぶのか、という答えが寿司屋のリサーチに詰まっている気がしてキーボードをたたいている。

 

本やニュース、教養になるようなことを学ぶ必要性が明確になれば、学ぶ理由がその人のニーズに一致すれば、自分から学ぶようになると思いつつも、こちらからはきっかけを与える事しかできず、興味喚起が出来る理由は何だろうか、自問自答していた。

 

話は戻って、地元や職場、生活圏にある回転寿司屋、回転していないがそこまで高くはない寿司屋に定期的に回遊し情報を仕入れている。 “リベラルアーツを学ぶ理由を寿司屋で見つけた話” の続きを読む

教養をプロ野球化する

教養を何のために勉強するのか、個々人によって目的や理由は変わってくるため1つの答えを求めることは難しい。そこで、教養をエンターテイメントと捕えるとどうだろうか。例えばプロ野球、私は全く関心が無く、プロ野球ニュースも生中継も一切見たいと思ったことはなく、野球選手の名前も知らない。阪神大好きな人間がいて、金本、と呼ばれれているのを聞いて、選手から監督になった金本は凄い人なんだろうなと想像するくらいである。

 

野球が好きな人間は楽しそうだ。前の職場の後輩は、野球が好き過ぎて、野球の生中継を見たい、しかし、仕事で帰れない、と言う時に、パソコンで仕事をしているふりをしながら小さい画面で生中継を観戦していた。家に帰ればプロ野球ニュース、土日は草野球。野球好きな人も多いため、野球を中心とした話題では事欠かない。野球の認知度が高ければ高いほど、多くの人の共通言語になるため、喜びが増す。

 

教養も同じところがあって、 “教養をプロ野球化する” の続きを読む