リベラルアーツを学ぶ理由を寿司屋で見つけた話

私は、自分の生活圏にある寿司屋についてリサーチをしている。教養やリベラルアーツを何故学ぶのか、という答えが寿司屋のリサーチに詰まっている気がしてキーボードをたたいている。

 

本やニュース、教養になるようなことを学ぶ必要性が明確になれば、学ぶ理由がその人のニーズに一致すれば、自分から学ぶようになると思いつつも、こちらからはきっかけを与える事しかできず、興味喚起が出来る理由は何だろうか、自問自答していた。

 

話は戻って、地元や職場、生活圏にある回転寿司屋、回転していないがそこまで高くはない寿司屋に定期的に回遊し情報を仕入れている。 “リベラルアーツを学ぶ理由を寿司屋で見つけた話” の続きを読む

ルフィがついにやってしまった

ワンピース、私はマンガは途中までしか読んでいないのですが、アニメは日曜朝にドラゴンボールと一緒に拝見しています。ワンピースを教育的な目線で見ることにしていて、ルフィというリーダーになぜ仲間がついていくのか。自由奔放で愛されるべきキャラであるものの、チームをまとめるために必要なものがあるんだろうか、と疑問に思いながら見ているのです。決して否定的な目で見ている訳ではないですが、少年漫画でありながら大人の苦悩などを知るきっかけになればもっと素晴らしいのに、と勝手な要望を持っているのです。

 

そんな中、2017/3/26放送のワンピースで恐れていたことがついに起こってしまいました。これは私も否定をせざるを追えません。食糧の不足に苦しんでいたご一行が海軍基地に乗り込み、食料を強奪しているのです。 “ルフィがついにやってしまった” の続きを読む

子供に勉強はしなくていい、と言っていいものか。

子供には積極的に勉強をして欲しい、と誰もが思うのではないでしょうか。勉強しなさい、と言っても言いすぎて子供がやる気をなくしてしまう、という事もある中で、「勉強しなくていいから」と、勉強の邪魔をすると「勉強しなきゃ」と思う様になる、という話を2例くらい聞いたことがあります。1例は芸能界を引退された島田紳助氏とそのお子さんの話。

 

勉強しなくていい、と言っているだけで子供が自主的に勉強するようになるのであればこんな素晴らしいことはない、と思いながらも果たしてどのような条件下であれば成立するのか考えてみました。 “子供に勉強はしなくていい、と言っていいものか。” の続きを読む

千と千尋の神隠しを教育的目線で見てみる

千と千尋の神隠し、金曜ロードショーで放映されていたが、教育的観点で見てみてどんなメッセージがあるのか、子供にどんな影響が与えられるのか考えてみた。ご存知の方は多いと思うが普通にネタバレするのでまだ見ていない方は控えて貰えるとよいと思われる。

 

まず千尋、一人っ子で小学生だろうか。自分に自信がない女の子。千尋がブタになってしまった親を助け、異世界から脱出するために奮闘する物語、という概要だけでも子供の成長を感じるものになっている。

 

その異世界は魔女が支配している様で、そこは働かないと死ぬ。しかし、働きたいと言われたら断れない、という特殊なルールになっている。見るのは2,3度目くらいになるが、子供が大人の社会の中に強制的に放り込まれる、という物語として初めて見ることが出来た。

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構造的にものを考えれば分かった、という話 年末の特売セールが危険だった

年末年始3日ほど下痢で寝込んでいたのだが、年末に1回、年始に1回共通して食べているのは生卵だった。オムレツを作るのが好きな自分はたくさんの卵を使ってオムレツを作る時に生っぽい部分を残して作り終えそれを食べる。それが原因だと思われる。 “構造的にものを考えれば分かった、という話 年末の特売セールが危険だった” の続きを読む

月は界王拳何倍で止められるか?-ドラゴンボールで物理法則を学ぶ時が来た

万有引力の法則を見つけたのがニュートン。すべてのものには引き付けあう力がある、ということだそうだが、自分の中では、いまいち腑に落ちていない。

 

自分に重力がかかっているのは、地球に引っ張られてているからだ。自分も地球を引っ張る力が発生しているが小さすぎるため無視する。

 

これは納得できる。

 

次の疑問。月はなぜ落ちないのか? “月は界王拳何倍で止められるか?-ドラゴンボールで物理法則を学ぶ時が来た” の続きを読む

なぜ社会科の家庭教師なのか?

私は社会科の家庭教師をするために今準備を進めています。

 

普通、家庭教師は受験など学校の勉強を補完しますが、私は社会科に絞っています。それも、学校の授業で習う事だけではありません。

 

目的から話します。お子さんが何になろうとも、ちゃんと生きてほしい、幸せに生きてほしいと思うのは親心だと思います。いい大学に入ったからと言ってもいい生活が保障されるわけではありません。逆に高卒で仕事を始めても仕事の幅が狭く、人生観や価値観、可能性が狭まってしまうことがあると感じています。

 

今、大学は資格としての機能が強まっていると考えています。大学で何を学んだか、と言うよりは、どこの大学を出たかの方が分かりやすく評価しやすいために、学生側もそこを意識して大学選びをする事があります。それ故に大学の卒業資格を取ることを目的として入学する人が多いと感じています。それは果たして有意義なのでしょうか。それでいい会社に採用されるのであればそれは素晴らしいことです。しかし、それを目的として人生の多くの時間を使い、重要なことを忘れていってしまう可能性を危惧しています。 “なぜ社会科の家庭教師なのか?” の続きを読む

教育の挑戦状

教育に興味を持ち出して1年半が過ぎた。勉強する日々の中で教育の限界について考えることがある。私は以前テレアポ代行(営業代行)の会社に勤めていたが、そこで多くのスタッフを雇って教える。業界の事、伝え方、アポの取り方、使いやすいものから教えていくが、半年一年経ってもどうしても一向に成長しない人たちがある程度のパーセンテージいる。 “教育の挑戦状” の続きを読む

ブログ・キュレーションサイトのパクリ問題から見る正義とモラル

Welqのパクリ記事の事件が波及している。技術的なことは専門家に任せるが、写真や文章の著作権回避の方法を見てみると、よくぞこんなことを考えるなと関心すらする工夫をしている。

インスタグラムで身元不明のアカウントを作り、写真や文章をそこに集め、そこから引用、転載する。これは、もはや犯罪すり抜け、脱法行為。 “ブログ・キュレーションサイトのパクリ問題から見る正義とモラル” の続きを読む