歴史を勉強する理由は何だ

今日清戦争周りの歴史について勉強しているが、この朝鮮を巡っての戦争とその世界情勢が現代日本の中でどう生かせるのか、という事について何も出てこない。発展途上国を支援しようとする国が対立する、と言う意味ではシリア情勢と重なる部分もあるかもしれない。日本と清国の関係は日清戦争から、対華21ヶ条の要求でただれてしまった。取らないなら他の国に取られる、そんな世界情勢の中で、日清関係をただれさせない選択肢があったのかと思うと疑問だし、歴史のディティールの中には、様々教訓になりそうなところはあるんだろうが、日清戦争の背景や概要などを人生の中でどう生かすかという事については、今の自分の能力では無理だと感じる次第だ。

 

改めて歴史の勉強の意義を考えてみると、今の自分の課題に合った本を探し、それがビジネス書、自己啓発、著者の経験談を語るものであれば、それも歴史かもしれない。今現在見えている課題が明確であれば、それに合ったものを読んで実践に活かしていく、という事が勉強のもっとも意図するところであると思う。

 

では、日本史や世界史、過去起こったことを時系列でみていくことで何が見えるのか、改めて考えてみた。 “歴史を勉強する理由は何だ” の続きを読む

日米修好通商条約はなぜ勝手に結ばれたのか?

江戸末期、ペリーが来航して日米和親条約を結びました(1854年)。これは、開国の1ステップではありますが、自由貿易を認めるものではありません。下田と函館は開港するものの買えるものは、欠品したものだけというルールでした。

そして、その次に日米修好通商条約を結ぶことになります(1858年)。 “日米修好通商条約はなぜ勝手に結ばれたのか?” の続きを読む

明治の大改革、廃藩置県

明治の大きな改革と言えば版籍奉還と廃藩置県です。それまで各藩が徴税を行っていました。軍事力は江戸時代規制されていましたが、海外からの脅威が出てくるにつれて各藩が軍事力を持つことが黙認されるようになります。

 

明治になり明治政府が徴税と軍事を一手に行う必要が出てきます。いわゆる中央集権国家です。各藩バラバラに徴税し、軍事力を高めるのではなくて明治政府にお金と軍事の資源を集めた方が海外に対抗しやすい、という考えです。 “明治の大改革、廃藩置県” の続きを読む

中国の明治維新、辛亥革命

長らく君主制だった中国が共和政に移行する1大イベントと言えば辛亥革命です。調べて見ると、江戸の無血開城と同じようなことが中国でもありましたのでそのことについて話していければと思います。

 

明治維新の後、1894年に日清戦争が起こり、昔の中国、清はヨーロッパ諸国の狩場になりました。清でいざこざが起こると、清にいる自分の国を守るためにといって軍隊を送りこんだり、理由を付けて、ケーキを分けるように植民地が増えていきました。

 

中国は清も含め、長い間君主制で、ヨーロッパ諸国は共和制に移行していて、日本も江戸時代の君主制から、明治維新を起こして共和制になった(天皇がいるので君主制ですが、議会で決めたことを天皇が承認するという意味で実質共和制≒立憲君主制)ため、ヨーロッパ諸国に立ち向かえない清政府を倒して共和制の新しい国を作ろうとしたのです。 “中国の明治維新、辛亥革命” の続きを読む

対華21か条の要求を期に日本と中国の関係がただれる。

対華21か条の要求、第一次世界大戦後1915年に日本が中国に対して出した要求と希望です。

これが中国とアメリカによって、日本が中国に理不尽な事を言っている、という印象にさせていて、中国では反日感情をあおる材料の1つとして使われているものなのですが、本当にそうだったのか、見ていければと思います。 “対華21か条の要求を期に日本と中国の関係がただれる。” の続きを読む

フランスは第二次世界大戦を止められた!?ゲーム理論で見るラインラント進駐

歴史を振り返ってみてみると、色々な所に分岐点があるのが分かる。第二次世界大戦を始めたドイツの暴走を止められる選択肢があり、フランスはその選択を出来ず、ドイツにやられてしまった。

ドイツは第一次世界大戦で負けて、ヴェルサイユ条約により、厳しい軍規制と賠償金を負う事となった。フランスが積年の恨みを晴らすような条約の内容になっていた。フランスもドイツもお互い憎しみ合う思いは消えていなかった。

 1929年に世界恐慌が起こり、不況の混乱に乗じてナチスが勢力を伸ばし、ヒトラーが全権委任法を成立させた。そして空軍をもってはいけない約束になっていたのに、航空機を作ると言って、空軍の飛行機を作ってそれを発表した。各国から批判はあったものの、軍備拡張を進めるのを止めるアクションとはならなかった。イギリスもドイツへの制裁が厳しすぎるし、ドイツが弱すぎてもパワーバランス的に問題であろう、と口を出さなかった。 “フランスは第二次世界大戦を止められた!?ゲーム理論で見るラインラント進駐” の続きを読む

日本が戦争をした経緯

みんな戦争はしたくないと思っていると思いますが、色々な国がたくさん戦争をしてきました。なぜ戦争をしなければいけなかったんでしょうか。今日は明治以降、日清戦争から太平洋戦争まで(大東亜戦争とも言いますが)、戦争がなぜ起こったのか、について話していければと思います。

 

もともと江戸時代は、鎖国をしていて、貿易などは、長崎とか幕府がやっているのと、薩摩藩が沖縄でこっそり貿易をしていたり、という感じで他国との衝突はあまりありませんでした。ペリーが黒船で来航して脅されたことで幕府が倒されて、新しい明治政府が出来ます。外の世界を見てみると、昔の中国、清はアヘン戦争でイギリスにぼろ負けして植民地になりかけていました。フィリピンも植民地になっていて、日本も植民地になってしまう危険性があったのです。 “日本が戦争をした経緯” の続きを読む

ヴェルサイユ条約で縛られていたドイツがなぜ軍拡出来たのか?

軍備拡張のポイントはラインラント進駐にあり。

第一次世界大戦で負けたドイツは、ヴェルサイユ条約と言う条件をのんで降伏しました。ドイツは厳しい賠償金の支払いをしながら経済を回復させていきましたが、1929年の世界恐慌で経済が落ちこみ、ヒトラー政権が誕生し、全権委任法が可決されてヒトラーの自由に出来る状態になりました。しかしながら、ヒトラーがいくら自由にできると言っても戦争に負けて軍隊は縮小されていたので、弱い状態で戦おうにも戦えないはずが、どうして軍隊を増やして第二次世界大戦が出来るようになったのか、についてみていければと思います。

 ヴェルサイユ条約内容としては、軍隊の数とか、武器はこれだけ、海軍はこれだけ、空軍は作ってはいけない、とか、そういったことで、ドイツに戦争をさせないように制限していました。 “ヴェルサイユ条約で縛られていたドイツがなぜ軍拡出来たのか?” の続きを読む

ヒトラーの全権委任法は民主的に決まったのか?

なぜドイツでは全権委任法が可決されたのか?

ヒトラーの独裁の元となった全権委任法、ヒトラーの前の政権から独裁であった、という話もありますが、それはさておき、議会という審議する場所があったにも関わらず、この法律が生まれてしまった理由についてみていければと思います。

 

ヒトラーのナチ党は非常に小さな党でした。この頃のドイツの選挙制度は、全て比例代表で、小さい政党でも議席を確保できる仕組みになっていて、その小さい政党の1つでしかなかったのです。1929年の世界恐慌でドイツ経済が悪くなり、失業者は950万人、仕事がなくなったら再就職は諦めるしかない位の状況になりました。 “ヒトラーの全権委任法は民主的に決まったのか?” の続きを読む

本当は固定相場制が良かった。国債金融のトリレンマ

今回は高橋洋一先生の霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書)を読んで、国際金融のトリレンマが面白かったのでそれについてまとめております。

これを一言で言うと、本当は固定相場制が良かったけど、上手くいかないから、固定相場制を捨てた、という話になります。どういう事かと言うと、

 国際金融のトリレンマという原則があります。 “本当は固定相場制が良かった。国債金融のトリレンマ” の続きを読む