明治時代に入ってから初めての戦争が日清戦争ですがなぜ起こったのか、経緯を追っていければと思います。清は、中国の1つ前の国で、王政でした。日清戦争が起こったのは、1894年です。一言で言うと、朝鮮を巡って争った戦争になります。
朝鮮は今の様に北朝鮮と韓国2つではなく、1つでした。冊封体制と呼ばれて、中国の属国だったのです。朝貢貿易(ちょうこうぼうえき)と言って、貿易をするにも、清国が偉いから、貢物をしないと取引しません、というやり方をしていました。ベトナムとか、朝鮮とかは、中国のおひざ元で、属国として生きていたわけです。しかし、朝鮮は清国に従いながらも、それから逃れたい、と言う気持ちがありました。実際国内の意見は割れていました。
日本は、近代化を進める中で、アメリカが日本を近代化の道に進ませたように、鎖国していた朝鮮を日本が文明開化させるという事が日本にとっての近代化の象徴だったので、朝鮮国内の近代化の手伝いをしようとしました。アメリカも朝鮮の自主独立には賛成でその方向で支援しようとしていました。一方アメリカと仲の悪かったイギリスは、アヘン戦争で清国の関税をコントロールできたので、朝鮮が清国の属国であれば、それを利用してイギリスもいい思いが出来るという対立構造にありました。
そして、福沢諭吉はじめ日本政府が独立派の支援してクーデターを起こさせたのが甲申事変でした。しかし、清国軍によって、すぐ鎮圧されます。日本政府は関与していません、と主張しましたが、色々な記録を見ているとどうやら関与していた、という線が濃厚です。
日本と清国は互いに、自分の国の外交官を守るために兵隊を置いていたのを天津条約を結ぶことで兵を互いに引き上げます。ロシアも朝鮮を狙っていて朝鮮もアメリカや、ロシアや色々な国にヘルプを送っていましたが、イギリスが介入してロシアが出る幕を失くしています。
朝鮮国内で東学党という宗教団体があって、キリスト教は欧州の圧力によって許されていたのに、東学党、という儒教、仏教、道教、道教をミックスさせた宗教団体の活動は許されていなくて、それはおかしいだろうというのと、政府はワイロやらで政治が腐敗しきっている、これを何とかしなければいけない、という事で反乱を起こします。清国も日本も兵を引き上げていたのに、もう一度兵を向かわせることになります。朝鮮は、自分の国を安定させる軍隊もなく、国を安定させる政治力も持っていなかったのです。
そして朝鮮の王様の高宗(コジョン)が清国の属国ではなく、独立したい、と言うのを聞いて、大院君(デウォングン)という自主独立派の人を政治のトップにおいて、ワイロやっている人を飛ばしたり、内閣改造を行います。それを聞いた清国が軍隊を連れてくるらしい、ということで日本も臨戦態勢に入ります。どこかで衝突が起こったら戦争が始まる、という状態になって、なし崩し的に戦争が始まりました。
戦いは、日本が圧倒的な強さで勝利して、朝鮮の独立を認めさせて、台湾を貰い受けました。朝鮮はその後、韓国になり、日露戦争後に韓国併合と言って日本に組み入れられますが少し先の話になります。
☆彡ご案内☆彡