マレーシアとシンガポールの建国の秘密

シンガポールはマレーシアの先端になって、世界地図で見たらなんで点みたいな国があるのと思いませんか?マレーシアの先端だったらマレーシアでいいじゃないか、と思いますが、その辺りの歴史を追っていければと思います。

マレーシアは、東アジアの像の鼻の地形の所の鼻の先になります。もともとジョホール王国というのがあって、マレーシアとかインドネシアとかをひとまとめにした王国だったんですが、イギリスとオランダが植民地支配してきたんですね。

21英蘭協定の線の図v2
その時、1824年英蘭協定というのを結んで、マラッカ海峡、マレーシアの西の海峡ですが、その海峡よりも北はイギリス、南はオランダが植民地支配しますと勝手に決めたんですね。

 

それでマレーシアは、イギリスのもの、インドネシアはオランダのものとなりました。

マレーシアはその後、複合民族国家になるんですが、その理由があります。もともとマレー系の人たちは漁業や農業をやっていました。イギリスはスズ、という柔らかい鉄の一種ですね、そのスズをヨーロッパに売るためにスズの鉱山を開発して、大量生産しようとしますが、あまりマレー系の労働者を集められませんでした。そのため、中国の南の方から労働者を集めてきて働いて貰ったんです。スズの鉱山のふもとで商店を開いて財を成して鉱山の所有者となった中国系の人たちが出てきました。

また、20世紀初頭、南米から持ってきたゴムが東南アジアでも栽培できると分かって、大規模なプランテーションを作りました。そこで中国から労働者を受け入れると、マレー系の人よりも中国の人の方が多くなってくるとバランスが悪くなるので、同じ植民地のインドから労働者を連れてきました。そこで、インド人自身がゴムのプランテーションを運営するようになって、中国系とインド系の人たちが裕福になって、漁業と農業をやっているマレー系の人が貧しくなって暴動が起きたりしました。

大事に世界大戦中に日本が占領したんですが、日本が負けてイギリスに返されて、その後独立します。その時にシンガポールには中国系の人、華僑の方が、マレー系よりたくさんいたんですね。マレーシアはマレー系の方が多いので、マレーシアになると、華僑は裕福で妬まれるし、数が少ないから不利益を被るということで、シンガポールとして独立をしたんです。

これによって、複数の民族の国マレーシアと、華僑の国シンガポールが出来たのです。

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