パナマ運河① パナマ運河が早々に出来ていたら日本は植民地だった!?

パナマ運河が早々に出来ていたら、日本は植民地になっていたかもしれない。この話に大した根拠はないんですが、それくらいパナマ運河があることのインパクトが大きかったと言う話が出来ればと思います。 

パナマは、北と南のアメリカ大陸をつなぐ細い部分です。今はここが運河として開通していますが、昔はここは船で通り抜けることが出来なかったのです。そうなると例えば、アメリカの東海岸にいる戦艦を西海岸に持って行こうとすると、わざわざ南米の方をぐるっと回って西海岸に行かなければいけない。しかも南米の大陸の一番南は、海も荒く、ここで事故になる船も多かったようです。パナマ運河があると、東海岸から西海岸への異動に2週間位なのに対して、運河がなく、南アメリカ大陸を回っていくと、2か月以上かかるのです。

 
49パナマぐるっと

 

パナマ運河を通れないとぐるっとまわることになる。

 

 

 

 

 

49パナマ運河で楽々

 

パナマ運河を通ると、物凄いショートカットが出来る。

 

 

 

 

増してや日本や東アジアの国へ行こうとすると、3カ月かかります。フィリピンやハワイはアメリカに併合していましたが、日本がその気になれば、いつでも奪われる、そんな状況だったのです。1914年に完成するのですが、長い間、パナマ運河を一刻も早く建設したいとアメリカは思っていました。

パナマ運河設立はドラマになるくらいのプロジェクトだと思います。まず初めにそれに気づいてパナマを切り開いて、船を通そうとしたのは、スコットランド人のパターソンでした。今はスコットランドはイギリスと併合されていますが、当時は別々でした。スコットランドとしてはパナマの重要性に気付いておらず、取り合ってくれません。

パターソンは、政府が取り合ってくれないなら、と、1200人連れて、パナマを植民地にするべく向かったのです。1698年の事でした。しかし、パナマはヨーロッパと気候が全然違いました。熱帯で、熱病が流行りました。現地では、原住民と、先に入植していたスペイン人が敵になっていたため、なかなかうまくいきませんでした。パターソンは家族も現地で病死してしまい、パナマ運河建設に失敗します。

これがもし1707年イギリス併合の後だったら、パナマ運河解説はイギリスにも大きいメリットがあったので協力してくれたと思いますが、その時は、別々の国でしたので、支援どころか逆にパターソンの動きは警戒されていました。

パナマ運河の野望は、まだ続きますが、それは別の動画で紹介出来ればと思います。

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