平安時代、打倒!摂政関白の引退天皇の反逆、院政

平安時代に、院政と呼ばれるものがありました。大学院生の院に政治の政で院政です。平安時代の前は、天皇は、ヨーロッパの皇帝と同じような立ち位置でしたが、平安時代に入って徐々に権力を失っていきました。そして藤原氏が、摂政、関白、という天皇家の血筋でなくても天皇と同じ権力を行使できるポジションを作って(本来は摂政関白は天皇家の血筋を引く外戚であることが多いのですが)藤原氏の親せきでそのポジションを占めたことで、天皇の政治権力の弱体化が顕著になります。

 

そこで、天皇を引退して、上皇になる。上皇は上に、皇帝の皇という漢字になります。天皇を引退して上皇になって、政治に口出しして権力を取り戻そうとしたのです。それが、院政です。

 

それを始めたのは11世紀後半の白河天皇です。白河天皇は引退して幼い子に天皇に即位させ、政治を行っていきます。そもそも最初は天皇家の家督争いで、白河天皇の次は兄弟でしたが、自分の子に継がせたかったので、自分が引退して上皇になり、本来家督を継ぐはずではない息子を天皇に下のが始まりです。

上皇は引退した天皇ですから、政治権力のトップを引退した元天皇という事で、本来であれば権力はないものの、元トップだから話を聞かざるを得ない、という事で、藤原一族が占める人事に口を出していきます。つまり、天皇家の血筋からはずれた政治権力を握る摂政関白に対抗するべく院政は行われたのです。

 

摂政関白は、天皇が幼いから摂政関白が必要で、それに従わざるを得ないという話なのですが、天皇が大きくなれば、天皇の権力で色々出来ると思うのですが、天皇、というポジションは、身動きがとり辛かったようです。上皇になることで、私的な身分になって、武士と主従関係を結んだり、武士を雇ったりすることが出来たようです。これにより、鎌倉時代が開くまで100年、院政で政治を行う事が出来ます。天皇家の逆襲ともいえるのではないでしょうか。

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