靖国神社の始まりと明治時代の役割

九段下にある靖国神社。明治時代にすぐに作られました。最初は、招魂神社、招く魂と書く招魂神社ですが、明治維新で亡くなった方を祀るために建てられました。招魂、という思想は道教の思想で、天に上った死者の霊を招きよせて鎮魂するという所から来ています。この思想は幕末からあり、各地に広がりを見せて、各地に招魂神社が出来たのです。東京府判事の大村益次郎監督の元作られたため、その銅像が靖国神社の参道にあります。

 

そして1879年、靖国神社と改めて、国を安らかで穏やかな平安にしていつまでも平和な国を作り上げようといった思いが込められています。靖国の靖は、安心とか安全の安、と同じ意味でつかわれているそうです。古代中国の史書、春秋に出てくる言葉とのことです。

 

この名称変更にはある政府の方針がありました。魂を落ち着かせる招魂の思いを越えて、亡くなった兵士を軍神、英霊として祀ることで、国家主義、軍国主義的なイデオロギーを植え付けようとしたのです。確かに、兵隊さんがなくなった象徴が家の近くにあったら、兵隊さんがお国のために頑張っているのに私も国のために、という思いが出てきやすくなるのかなと思います。

 

日中戦争が始まって2年経った1939年には、地方の招魂神社が、護国神社、護る国と書きます。護国神社と名前が変わりました。それも、靖国神社に名前が変わったことと同じで政治的理由からです。

 

240万人の名前が靖国神社に登録されていて、慰霊されています。日本のために戦った人が祀られている神社には、日本人としては、お参りに行かない訳にはいかないなと思います。

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